
昭和の歌姫で宇多田ヒカルさんの母としても有名な藤圭子さん。本名は阿部純子さん。
10週連続1位を獲得77万枚売上げる大ヒット作「圭子の夢は夜ひらく」をご存じの人も多いのではないでしょうか
藤圭子は離婚を経験している!元旦那は前川清と宇多田照實
①前川清との結婚

藤圭子さん(当時19歳)は、1971年にクールファイブのボーカル、前川清さん(当時22歳)と結婚しました。
この大スター同士の電撃結婚は、世間を驚かせました。
しかし、華やかな表舞台とは裏腹に、二人の間にはすれ違いが多く、わずか1年で離婚することとなりました。
②宇多田照實

初婚の後、藤さんは1974年に喉のポリープの手術を受け、自身の声の特徴が失われることに悩み、引退を考えるようになりました。
しかし、1982年に自由を求めてアメリカへ渡り、そこで2人目の夫、宇多田照實さんと出会います。
1983年1月19日、ニューヨークにて長女・光を出産しました。藤さんは当時、網膜色素変性症を発症し、視力が徐々に低下している状況でした。
そのため、「我が子から光が失われないように」という願いを込めて、娘に「光」(ひかる)と名付けました。
藤圭子さんと宇多田照實さんは、その後も複雑な関係を続け、なんと7回の離婚を繰り返しました。
このような波乱に満ちた人生の中で、藤さんは音楽と向き合い続け、多くの人々に感動を与えました。
生まれから音楽に囲まれた藤さんの生活
音楽家の家庭に生まれる
藤圭子さんは、浪曲師の父と三味線奏者の母の間に生まれた3人兄弟の末っ子です。彼女は生まれた瞬間から音楽に包まれた環境で育ち、音楽と共に歩む人生を送ることとなりました。
幼少期は、家族がその日の食事に困るほどの困窮を経験しましたが、音楽は常に彼女の側にありました。
両親の離婚と影響
藤さんの1回目の離婚は、彼女の両親が離婚する時期とほぼ重なっています。両親の離婚の理由は、藤さんの収入に関するものでした。
藤さんは、目の不自由な母を一人にすることができず、父とは絶縁を選びました。
この選択は、彼女にとって非常に辛いものであったでしょう。
新たな生活と現実

都心の一等地に建つ高級マンションで母との新しい生活が始まりましたが、藤さんは同じ怨歌を歌い続けているにもかかわらず、ヒット曲が生まれないという厳しい現実に直面しました。
音楽の世界で成功を収めることは容易ではなく、彼女は多くの試練を乗り越えなければなりませんでした。
藤圭子さんの人生は、音楽への情熱と、家庭の困難さが交錯するものでした。彼女の音楽は、ただのエンターテインメントではなく、彼女自身の人生そのものであったと言えるでしょう。
藤圭子はなぜ死んだのか
2013年8月22日マンション敷地内で死亡しているのが発見されました。マンションからの飛び降り自殺かと報道されています。1988年ごろから精神疾患を患っていたこともわかっています。
22日午前7時ごろ、東京都新宿区西新宿のマンション前の路上で、歌手の藤圭子さん(62)があおむけの状態で倒れているのが見つかった。警視庁新宿署によると、藤さんは病院に搬送されたが、頭などを強く打っており間もなく死亡した。
マンション13階の一室に藤さんの知人の30代男性が住んでおり、ベランダにスリッパの片側が落ちていたことなどから、同署は藤さんが男性宅を訪れていて飛び降り自殺したとみて、詳しい経緯を調べている。遺書などは見つかっていないという。 Y!産経新聞
藤圭子さんの突然の死は、多くのファンや関係者に衝撃を与えました。彼女は日本の音楽界で長い間愛され続けた存在であり、その死は深い悲しみをもたらしています。
彼女の音楽と人生は、多くの人々に影響を与え続けるでしょう。
コメント